熊谷守一ってどんなひと?

何時だったかの展覧会の時、天皇さんが
わたしの絵をご覧になって「子供の絵か」と
お聞きになったんだそうです”


熊谷守一(1880−1977)は、東京美術学校時代、教授であった黒田清輝の高い評価を受け、学校を主席卒業した 才能豊かな画学生でした。
1909年には第三回文展 に出品した 自画像「ローソク」に褒状が与えられ、同世代の中でも抜きん出た画力を認められていました。 同期には青木繁や山下新太郎、和田三造、児島虎次郎らがいました。しかし、生母の死を機に戻った 郷里付知の自然の中での過酷な日傭仕事の体験、樺太調査隊に同行した時 感銘を受けたアイヌの人々の思想、貧困の中で相次いで亡くした子供たちの死の経験が、モリカズの画風を 子供の絵のように単純化されたものへと変化させていきました。
天童市美術館
天童市美術館 蔵
モリカズの絵に“変化”がはじまったのは1940年、60歳ごろのことです。
1940年前後は 画家・熊谷守一にとって大きな2つの出来事が起こった時期でした。
ひとつは 1938年の個展で モリカズ芸術の理解者で 後の大コレクターとなる木村氏と出会ったこと、もうひとつは 1940年、現存作家としては異例とされる 二科展での “熊谷守一生誕六十年記念“特別陳列でした。
この頃を “気持ちが大きくなった気がした” と モリカズ自身が述懐しているように以降、画面の抽象化が一気に進み、モリカズ様式と呼ばれる 赤や黒の空間の輪郭線が登場するようになります。


更に晩年には家の庭に筵を敷き、わずか18坪の世界に生きる小さないのちに視線を注ぎました。
蟻が左の二番目の足から歩き出すこと、オオコウモリが驚くと涙を流すこと、菜の花にはもんしろが来てサルトリイバラにはルリタテハが来ること、狭い庭に二、三十匹もの蝦蟇が潜んでいることなど庭に寝転んで見える世界は 次から次へとあふれんばかりの発見をモリカズに与えてくれました。
観察しつくされた上での作品は、その日の“そのとおり”が描かれています。
自宅の庭を評して“木々の間から空が見えて、まるで深い山の中にいるよう” と言ったように、18坪の庭はモリカズの目に かつて過ごした故郷・岐阜付知の山々を映していたかもしれません。


90歳の折、日経新聞者の取材に “大好きなのは、世の中にいっぱいあります”と答えた熊谷守一。
その作品は 清楚で、時代を超えて新鮮で 常に新しく感じられます。

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熊谷守一と岐阜・柳ヶ瀬画廊のはなし

柳ケ瀬画廊は 岐阜柳ケ瀬商店街の中心、岐阜高島屋北に位置する洋画商です。大正10年に創業してから はや90年余、主に内外巨匠の秀作を扱ってまいりました。

お付き合いのあった武者小路実篤氏に、ある日「君の故郷の岐阜に素晴らしい画家がいる、紹介してあげるからぜひ会ってみなさい」とご紹介いただいた方が 当時、東京の豊島区に住んでいらした熊谷守一先生でした。

そのご縁で作品をたびたび扱うようになり、熊谷先生が亡くなって4年後、1981年にははじめて「熊谷守一秀作展」を岐阜の画廊で開催させていただきました。以来、扱った熊谷守一作品は 油彩画作品だけでも200点を越え、毎年春と秋には熊谷守一展を開催、より多くの方に熊谷守一の魅力を知っていただこうと、美術館の企画展や 各地の画廊・デパートでの展覧会に協力するなど、熊谷守一先生のため 美術愛好家のため 画廊活動をいたしております。地道に集めた当時の資料も随分な量となりました。

2001年には熊谷守一水墨淡彩画鑑定登録会の設立に参加、2006年 熊谷守一美術館寄贈作品評価委員会の評価委員として美術館の全作品を評価、2007年には熊谷守一生前全版画集(カタログレゾネ)を企画制作、そして2009年には熊谷先生のご息女で熊谷守一美術館館長の熊谷榧氏と契約し、違法作品の摘発活動もさせていただいております。 熊谷守一

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